3月11日 14時48分。地震が収まった時の陸前高田市。
わたしはこの時、東北電力の委託検針員で 陸前高田市米崎町松峰団地で作業中だった。
たまたま神社がある高台で休息していた時、地震が起きた。 ぐらぐらと横に揺れるのを腰を落として感じていた。
揺れる時間は長いと感じた。
そしてこの揺れの長さから 『津波は来るな』と感じた。
揺れが収まり街を見てみたが特別、変わった様子はないと感じた。
14時48分。ふと下を見ると地震の揺れに恐れおののいた主婦が外に飛び出しうずくまり震えていた。 わたしは神社の階段を駆け下り、その方に「大丈夫ですか?」と声をかけた。 女性は「怖かった!」と話しておられた。
妻の携帯に電話をしたら繋がったのですぐに避難するように命じ大船渡町明神前県営住宅がある高台で 会おうということで電話を切った。
2,3分後、気になったのでもう一度、妻に電話をしてみた。
すると『猫を連れて避難したいのだけど猫がどこに行ったか見つからない』と。
私は『津波は二階までは 来ないだろうから猫はそのままにしてすぐに避難して』と伝えた。妻は『そうする』と言った。
それから私はまだ混乱していた。避難するのではなく何と電気の検針作業を再開したのだ。
10軒くらい検針したがある家で女性の方から『あんた、こんな時に何やってるの!』と言われた。
それで私は目が覚めた。『仕事をしている時ではない』と。
たぶん地震発生から15分以上は経過していたと思う。 車に乗り込み大船渡に向かった。松峰団地を国道45線に降り通岡方面に走った。
後で確認したが、 その道路は津波が襲い無残に破壊されていた。
三陸道は高架橋になっている部分が不安だったので通岡峠を 目ざした。通岡駐車場では一人の男性が『大船渡は津波で通れなくなっているぞ』と下に降りて行かないように 叫んでいた。私は行けるところまで行ってみようと通岡峠を下った。
15時25分 正面に大船渡湾の入り口である港湾防波堤(通称トンボロ)があるはずだがすでになくなっていた。
15時28分、大船渡町丸森の国道45号線から末崎方面の光景。 家が沖の方に流されているように見えた。
これはとんでもないことが起きたのだと感じ始めていた。
15時31分。赤崎町蛸の浦付近。
15時31分。一そうの漁船が津波と格闘していた。
15時38分。大船渡町永沢国道45号線沿いから海側を見る。 津波の被害をついに間近で見た瞬間だった。
15時38分。上と同じ時間帯での写真。別の角度から。
15時39分。上の写真と同じ時間帯に撮っている。 その時は気付かなかったのだが後で写真見てみると左上の方に水の上に浮かぶ、 がれきの上を一人の人がいるではないか!(赤丸で囲んでいます)
上の写真の左上の赤丸で囲んだ部分を拡大した写真。どんなに心細かっただろう。
16時頃 国道は大船渡小学校付近で通行止めになっていたので山側の道に迂回し 本増寺近くに車を停めた。
それから大船渡小学校の裏のほうに行ったら水に濡れた男性が男たちに抱えられ連れて来られた。
私も運ぶのを手伝った。
その男性を草むらに置き看護師という若い女性が心臓マッサージを始めた。
びっしょり濡れた70代くらいの男性はまるで生きているように見えたが無理だった。
若い看護師は途中で泣き出し『もう無理です』と言いながらその場から離れた。
そばにいたその男性の妻と思われる女性は『お父さん、もういいよね』と言っていた。
わたしも後ろ髪を引かれるものがあったがその場を離れ加茂神社に通じる山道に向かった。
16時15分 加茂神社を降り田中橋付近の須崎川はがれきで一杯になっていた。
畳が敷かれている所を消防団員の指示のもとに一人ずつ渡った。
渡る順番をめぐって怒鳴りあいが生じた。当然だが皆がピリピリしていたのだと思う。
16時17分 明神前の県営住宅に通じる広い道路一杯にがれきが満ちている。
その光景を見ながら妻と待ち合わせた高台に向かう。
6時26分 妻と会い、お互い無事であったことを喜んだ。高台から街が見た。須崎川付近。
16時33分 自宅の方を見る。タイサン、お菓子の高瀬の工場が見えるが自宅の姿は見えず。
16時34分 この津波の中、避難せずに自宅にいた人がいたことがわかります。ベランダの上で回りを見渡しています。
わたしたちは避難所に行かず盛町に住む仲間のクリスチャンの友人宅を頼ることにしました。
友人家族は快く私たちを迎えてくれました。おにぎりを皆でいただき、ろうそくの明かりで夜を過ごしました。
神様で結ばれた友のありがたさを感じた夜でした。